物の価値を保証する仕組みはたくさんあります。

例えばApple製品は会社がきちんとしたクオリティを保証しているのでみんなiPhoneやMacを購入します。こう言った製品はどれを取っても同じクオリティであるため安心して購入できます。

では食べるものはどうでしょうか?

南魚沼産コシヒカリはきちんとした保証をされているため安心して食べられます。神戸牛も然り。個体差はあるものの、どの地域で作られたか、どのような成分がどれだけ含まれているかという「一定の基準をクリアしたもの」がきちんとしたクオリティの商品として認められるのです。


では、芸術家のクオリティを保証するものとはなんでしょうか?

これは食品と同じく「一定の基準」があるはずです。ただしこれは食品のような産地は関係ないし、「これができるからプロとして認められる」と言うようなものではないのはご承知の通り。

以前、演奏家を免許制にすれば良いのではないかと冗談で呟いたことがあったのですが、実際のところ我ながら良いアイデアだと思っています。

「プロとは何ぞや」は永遠に終わることのない問いかけなので、ここではするつもりはありませんが、一つ言えるのはプロの芸術家とは「自身の芸術クオリティを保証できる人」の事だと僕は考えます。

演奏家に限らず、文化芸術に関しては「あなたはこれで生計を立ています」ということや「自分の芸術クオリティを保証する『もの』」がありません。


何故このようなことを考えたかというと、今回コロナ禍において持続化給付金や、文化庁助成金などを申請する時に、ある一定の団体に所属していない演奏家は「確定申告書の提出」と「演奏会のフライヤー等」の提出を求められたからです。要は演奏家として生計を立てて、演奏家として活動しているということの証明を出せということで、お金をいただく以上至極真っ当な要求です。

多くの演奏家は特定の団体に所属しているということは少ないと思います。あくまでも個人レベルでの活動が周りに認知されて、それが自分の「認証」や「保証」になるわけで、『公的に演奏家として認められるということは難しい』というのが現実です。

これにはいろいろな理由があると思います。

1つは日本において、文化芸術に関する認知度や理解度が諸外国(特に西洋)と比べて相対的に低いということ。

これはずっと以前からあちこちで叫ばれていますが、芸術家が自分を表現しようとする時に、お金の問題が必ず付き纏うことです。チップ文化が根付かない理由の一つでもあると思います。

正しい対価をもらえないということや、「ボランティア」を「お願い」されることが多いということです。(ボランティアというのは本来お願いされるものではなく自発的に行われることです)

もう1つは賛否が分かれるところですが、1つ目の「文化芸術に関する認知度や理解度が相対的に低いということ」に芸術家自身も慣れてしまっていることだと感じます。芸術に関する受容度や理解度(※)の低さに半ば諦めながらやってしまっていることだと思います。


(※)ここでいう理解度とは聴衆側が演奏などに関するクオリティが理解できないとかそういうことではないです。芸術は優劣をつけるものでもなく、受け取る側がどう判断するかなので、演奏家が偉そうなことを言っているのではないです。「我々が音楽を演奏することについての理解度」という意図ですのでミスリードしないでください。



例えば駅前で演奏をしているミュージシャンに対して無関心も多く、許可を取って演奏していてもうるさいからやめろと言ったり(もちろんこの辺りは地域住民や近隣商店などとの話し合いも必要ですが)ミュージシャンに対して見下した発言をされる方も多いのが現実です。悪気はないけれど「演奏会に行ってやる」「チップをくれてやる」「場所を提供してやる」的な人もいます。

演奏家は個人で見られることが多く、どうしても組織とは無縁になります。それが故に初めに述べた「公的に認められない」や「クオリティの保証がされない」が起こります。
例えば「あの人に演奏を頼みたいが、ちゃんとした演奏をしてくれるのだろうか」とか「ギャラはいくらぐらいいるのだろうか」とかそういうことが起こります。

そのために音楽事務所があり、その事務所を通して演奏を依頼すれば「演奏クオリティの保証」があるわけで、逆に言えばその演奏家は「クオリティの保証」をされていることになります。

しかしながら元来演奏家というのは縛られることなく自由な立場で動く人も多いです。そう言った人たちの方が自由が効くし、伸び伸びと自身の表現ができるのも事実です。駆け出しでこのジレンマに悩む人も多いと思います。

音楽事務所というと演奏家以外も携わり、いろいろな利権関係から不本意な仕事でも「仕事」と割り切ってやることがあります。プロの演奏家であればクオリティは当然保ちますが、本人が「自己の芸術」として発揮できるかどうかというところは微妙です。

全国規模であれば日本音楽家ユニオンがありますが、各地域での活動となると規模が大きすぎます。演奏家同士がお互いにクオリティを保証し合うとなると、メンバー同士が知っていないと成り立ちません。あまり大きな組織になってもいけないと思います。

音楽事務所やユニオンを否定するわけではなく、むしろ健全で高いクオリティの演奏家と認められる利点があるので、個人的にはそういう活動をしたいとは思いますが

「演奏家同士が互いに情報交換し合って、演奏クオリティを保証し合えるようなつながり」

は未だ見たことがないです。

演奏家同士がそのような活動をすることで、自身がクオリティ維持や向上のために研鑽していくようになると、演奏家の芸術クオリティというのももっと上がっていく気がするのですが思うのですが、いかがでしょうか。

僕は「ミュージシャンはそんな枠でやるもんちゃうわ」と思っていたこともありますが、ここ数年でこう言う考えをするようになり、コロナを機会に本格的になんとかしたいなと思うようになりました。

実はこんな団体があるよ!とか、俺はこんな取り組みしたいとか、私ならこうするとか、アイデアを共有したいです。

Categories: 音楽全般

植田 良太

植田 良太 ピアニスト・アレンジャー バークリー音楽大学で学んだ理論をもとに現在も最先端の理論を追求したり、独自の解釈で演奏に反映しているが、そのサウンドは非常に感覚的である。 一般的な音楽理論以外にも、現役のプロミュージシャンに向けた実践向けの理論レッスンや高度な楽曲分析、音楽講師の方のためのアドバイスなども行なっている。

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