レッスンの根本は「アドバイス」することだと僕は考えます。レッスンは「教える」ことが主ではありますが、音楽、特にジャズを教えるときに「一つの答えにまとまること」が少ないからです。

誰でも平等に「感じることができる音楽」を習いにきているのにも関わらずこちらの意見を一方通行で教えるというのは違和感を感じませんか?

「知りたい」「上手くなりたい」から習いに来る生徒に対して「音楽は感覚で覚えましょう」だけでは良くないし、「この答えは〇〇です」では音楽の意味がありません。

僕は自宅や外部の音楽教室・専門学校でレッスンをしていますが、どの生徒に対しても最初に「今の演奏、自分でどう感じましたか?どう評価しますか?」と言うような質問します。すると大抵は「フレーズが変」「メロディが走ってしまった」「テンポキープができていない」などのようなネガティブな言葉が返ってきます。

こちらからは「今の演奏のは〇〇が良くて、〇〇ができないのでイマイチに聞こえます」と言います。そこで「こうすれば良くなる」と教えるのですが、その時に「なぜフレーズが変に聞こえたのか?」「なぜ走ったのか?」「なぜテンポキープができないのか?」を生徒と一緒に考えるということを意識しています。

このようなやり取りをすることで生徒は「なぜそうなったのか」を考えるし僕も「どのようにすれば良いか」を考えるようになり、意識的な演奏ができるようになります。

先日、教えに行ってる音楽教室のとあるピアノの先生がモンテッソーリ教育の資格を取られると言うことで小一時間ほど喋っていたのですが、僕は昔通っていた幼稚園がモンテッソーリ教育だったので「あの時にやっていたのはそう言う理由があったのか!」と言うようなことが沢山あり、とても興味深い話ができました。

モンテッソーリ教育では「次は〇〇をしましょう」と先生が指示するのではなく、園児たちが自分のやりたい事を選んで、それぞれ目的の教具が置いてある部屋へ行き、積み木をしたり縫い取りをしたりします。モンテッソーリの幼稚園には多様な教具があり、積み木やパズル、絵の具に画用紙などはもちろん、ハサミや針などもあり、僕が通っていた幼稚園ではお料理室があって包丁も普通に触っていました。

小さな子供がたくさんいる環境では今であれば安全が優先されることが多いため、このようなものは置かれない傾向にありますが、逆に「危険なものを危険だと認識して扱えるようにする」と言う観点では、きちんと管理監督しておけば教育にもなるのだと思います。

兎角「安心安全」が叫ばれる現代、子供にとって出来るだけ危険なものを排除したり、協調性を重んじる日本ではモンテッソーリ教育の是非も結構論議されるようです。

モンテッソーリ教育を受けた身としては、自分で選ぶ力は身についていると実感しますし、ジャズを教える中でモンテッソーリ教育を受けたことが影響しているなと感じることが多いにあります。

例えば、「選択肢を選び、適切に使う」と言うこと。

アドリブの練習をどうやってすれば良いですか?と言う質問をされた時には

「曲中に出てくるコードトーンを弾けるようにし、4和音の組み合わせのフレーズがいくつできるかを探してみてください。」

と言うことがあります。

ちなみに片手の届く範囲で4つのコードトーンを1回ずつ使って4音のフレーズを作ると何パターンできるでしょうか?

答えは4! (4×3×2×1=24)通り。

・・・・・数学的にはそうなのですが、音楽的には違うんです。

わかりますか?

正しい答えは、さらに4倍の96通りです。(何故かはコメント欄でお尋ねください)

一つのコードトーンでこんなにたくさんの選択肢を作ることができるんです。

このような考え方は数学的観点ですので音楽的にはあまり良くないかも知れません。しかしフレーズを作り出すための経験値を上げる練習として僕は実際にこの練習をしました。(もちろんこれは方法論ですので、96通り全部やる事が正しいとは思っていません)

フレーズを数字で考えるので、覚えやすく即効性があります。たくさんの答えを自分で導いていくことが楽しいと感じられるのであれば、アドリブの演奏は「経験値」によるところが大きいので、この方法は良いのではないでしょうか?

一方で、より音楽的・感覚的な練習に関しては、この経験値が基になります。どれだけのフレーズを知っているか、そのフレーズをどれだけ「適材適所」で使えるか。

96通り全部きちんと練習したからといってそのフレーズを適材適所で使えるかは「センス」の問題があります。このセンスは持って生まれたものが全てでなく、先ほどの「経験値」が8割ぐらいではないでしょうか?

例えば96通りあるフレーズでもコード進行やフレーズ感などの前後関係、歌であれば自然な歌い方、楽器であれば楽器の特性によって演奏のしやすさなどがあり、どれでも使えるフレーズになるとは限りません。

(難しく弾きにくいフレーズを「難しいから練習する」のと「流れからすると不自然なのでそのフレーズは弾かない」は別問題ですが、経験値を増やすと言う観点から僕は「使うか使わないかは別として難しいけどとりあえず練習する」をおすすめします)

そうやって作り出して自分のテクニックになったフレーズを適材適所で反映できるようになるまでには割と時間がかかります。

ただCDなどを聞いて「覚える」と言う練習をするよりは確実に効率が良く応用力は高いです。

選択肢を選んでいき、それを適材適所で使用するというのは先述の幼稚園のモンテッソーリ教育にもよく似ているのではないでしょうか?

園児が紙を切って何かを作りたいとしましょう。

ハサミを渡し使い方を教え、まずは切ることを覚えさせます。もちろん指に注意させます。

紙を切って作るものはなんでも構いません。

次にどうすれば綺麗に切れるのか。

しばらくして集中が途切れて園児がハサミを持ったままどこかに行ってしまおうとした時、危ないからハサミは持って歩かない事を教えます。

「ハサミは危ない」と先に教えるのではなく「使い方を教えた上で危険性を教える」という事です。

重要なのはまず使い方を教えるという事。

「アドリブを演奏できるようにするにはどうするのか?」

と聞かれて、まずはコードトーンを覚えてもらいます。次にコードトーンで先ほどの96種類できる事を方法論として伝えます。この方法論をどう使うかは教えません。

コードトーンでのアドリブができるようになったらコードスケールを教え、ここで一つのリスクが生まれます。

「アボイドノート」いわゆる「ぶつかる音」

これは「使ってはいけない音」と教えてはいけません。

「ハサミは危ないから使ってはいけません」と言って子供の手の届かないところへしまうのと同じです。

道具の使い方を教えて、どうすると上手く使えるのか?どうすると危険なのか?を「導く事」が大切だと思います。

ハサミを使っていて怪我をする事があるかもしれません。アボイドノートを使っていてフレーズに違和感を抱くようになるのと同じで、この辺りはBook SmartよりもStreet Smartではないでしょうか?


このような事から僕はレッスンが「アドバイス」する事だと考えています。


植田 良太

植田 良太 ピアニスト・アレンジャー バークリー音楽大学で学んだ理論をもとに現在も最先端の理論を追求したり、独自の解釈で演奏に反映しているが、そのサウンドは非常に感覚的である。 一般的な音楽理論以外にも、現役のプロミュージシャンに向けた実践向けの理論レッスンや高度な楽曲分析、音楽講師の方のためのアドバイスなども行なっている。

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