演奏者として、教える立場として、私にとって音楽とは何か
私と音楽との関わり
私は3歳でピアノを弾き始めました。もちろん自分の意思で始めたわけではなく、気がつけばピアノを弾いていたというのが正確な表現でしょうか。
私の音楽感は特別なものではなく、日常生活の中にある一部分という認識です。演奏するときは「音楽を感じる」ということを大切にしています。
「音楽を感じる」というのは意識的にすることではありません。自分のそれまで聴いてきたものや演奏してきた音楽の知識が蓄積され、音楽を聴いているときその蓄積されているものに触れることで感動するのだと思います。
音楽を学ぶことについて
私が留学するきっかけになったのは、ある音楽雑誌のコラムでバークリー音楽大学のことが書かれていたからです。その記事にはバークリーでの授業内容や学生の様子などがたくさん紹介されており、当時高校2年だった私にとっては、将来プロの演奏家になろうと進むべき道を決定づけるものとなりました。
実際に留学して授業を受けてみると、そのカリキュラムや授業内容、教え方などが非常に面白く、日本ではこういう教え方はしないだろうということがたくさんありました。日本との大きな違いは何かというと「教え方と考え方」です。文化の違い、考え方の違いは練習の仕方や勉強方法にも現れます。
私は神戸の甲陽音楽学院でバークリーの単位を取得していたので、周りの同級生よりも授業進度が早く、理論に関してわからないところを彼らに聞かれる事が度々あり、やがて教えたり説明したりしているうちに「自分は教える事が向いているのではないか」と思い始めるようになりました。
素晴らしい授業内容に触れ、教え方に感動し、それを他の学生に教えるという事が自分の知識や音楽の理解にも役立っていることに気づき、演奏だけでなく教えることにも興味を持つようになりました。
帰国後は演奏活動の傍ら実技や理論を教えるようになり、「学ぶ」というのはどういうことかを考える機会が多くなりました。私の考える「学ぶ」ということは「自分の感覚を磨く」ということです。
最初に述べたように、私は「音楽を感じる」ことを一番に考えていますが、「感じる」というのは感覚です。この感覚は「考えなくてもできること」つまり無意識のうちにあるものです。
私が留学中に学んだことは音楽の知識であり、感覚ではありません。しかし、その蓄えた知識が今現在の感覚をさらに豊かなものにしています。つまり、学ぶということは自分の感覚を磨き、その感覚がさらに見たものや聞いたものに反応するようになるということ。
学ぶだけでは知識は溜まる一方で感覚は磨かれません。その知識を使い頭で考え、耳で聴き、心で感じる。そしてまた新しいものに出会ったら学ぶ。この繰り返しの過程「学び、考えること、感じることの循環」を私は大切にしています。
私の音楽的背景
影響を受けたピアニスト
私の好きなピアニストはハービー・ハンコックとビル・エヴァンスです。
小学生の時に家にあったハービー・ハンコックの”Headhunters”と言うレコードの一曲目に収録されている”Chameleon”を聴いて衝撃を受け、ひたすら聴きまくり音をコピーし、どの楽器のパートも口で歌えるぐらいです。最初、ハービー・ハンコックはエレクトリックサウンドのミュージシャンなのだと思っていましたが、アコースティックサウンドはもっと素晴らしいということに中学生で気がつきます。そこからどんどん掘り下げていき、様々なジャズミュージシャンを知るきっかけになりました。ジャズの歴史を1970年代から遡っていったことになります。
黒人独特のグルーヴを持ったピアニストが奏でるリフはなんとも言えない気持ち良さを作り出し、繰り返し聴いても斬新なアプローチは「理由なしに良い」としか言い表せません。このグルーヴを自分でも表現したいと日々練習しています。
もう1人のピアニスト、ビル・エバンスはマイルス・デイビスがモードジャズを作り出した時に出て来たピアニストで、ピアノの音の出し方、コードの積み方が非常に美しいピアニストです。
決して派手ではない演奏ですが、一度聴いたらずっと心に残る暖かい音色と理論的なコードワークが印象的です。
私の演奏スタイルの中で大きなを影響を受けているのはビル・エバンスの音の出し方や和音の捉え方とハービー・ハンコックの浮遊感のあるフレーズ、グルーヴ感です。
なぜピアニストになったのか
音楽が特別なことではなく日常生活の中の一部分だと初めに述べましたが、実際にそのように感じ始めたのは中学生の頃です。
それまではクラシックピアノを習っていましたが、あまり興味を持てず当時のピアノの先生を困らせていました。しかしその先生からエレクトーンを勧められ、私の母親も過去にヤマハ講師であった事もありエレクトーンを始めることになりました。そこから生活が一変します。
エレクトーンは様々な音を出すことができ、1人で全てのパートを演奏することができる楽器です。初めのうちは市販の楽譜を使い演奏していましたが、次第に自分で聴いた曲をコピーして演奏したいと思うようになり、ハービー・ハンコックの演奏をコピーして再現しようとします。この再現する作業は1日13時間にも及ぶ事がありました。それこそ食事とトイレ以外の時間は全てエレクトーンの前に座りっぱなしです。
一通り再現できたら今度は自分で曲を作ってみようと思うようななり、当時聞いていたアシッドジャズの曲などから影響を受けたリフを使い様々なリズムパターンを作り、そこにコードやメロディを乗せていくと言う作業をエレクトーンでやり始めます。来る日も来る日もそんな作業を繰り返し、色々なCDを買い、お気に入りの曲やミュージシャンを見つけてはフレーズを真似したり音色を再現したりします。
こういった事が続き一通り音楽を作る事ができるようになり、高校生になり自分の進路を決める時期に、先程紹介した音楽雑誌に出会います。そうして自分は現在エレクトーンをやっているが、もう十分やったと感じもう一度ピアノをやってみようと思うようになります。なぜかというとハービー・ハンコックから遡っていったジャズを聴いていたからです。ハービーの演奏するピアノのサウンドをもっと追求したくなり、ピアノでジャズをもっと極めたいと思うようになりました。
甲陽音楽学院でジャズピアノの先生に2年間様々な事を教えられ、自分が知らない音楽を他の学生に教えてもらったりして音楽の幅が一気に広がっていきました。そして、一度は離れたクラシックにも興味を持つようになりました。
さらに留学して理論や演奏を学び、ここで初めて「なるほど、自分があの頃やっていたのはこう言う事だったのか」と言う中学高校時代に感覚的にやっていた作業の裏付けができました。